私は彼女の虚ろで生気を失った瞳を見つめていた。ほんの数秒前まではあんなに生き生きと輝いていた瞳を。今、輝きを失った瞳はただぼんやりと私を見つめ返 している。私はこめかみから流れる血を無視してガラスの破片を拾い、太陽の光を彼女の目に向けて反射させてみた。私の気のせい?それとも彼女の瞳は動い た?

 

首のどの部分に触れば脈を見つけることが出来るのかわからない私は、あらゆる場所を指で押さえてみた。数秒ごとに場所を変えながらせわしなく指を動かし続けていたら、突然微かな脈を指先に感じた。少し指先に力を加えてみる。とても弱々しいが、それは紛れもなく脈拍だった。

 

雨が降り始めていた・・・。

 

私は頭を潜り込ませるように体を曲げ、彼女のシートベルトを外すためにハンドルとシートの隙間をこじ開けた。シートベルトを外し、震える腕で両脇を抱えて 彼女を車外へ運び出そうとしたが、彼女の片足がハンドルに引っかかっていることに気付き、私は苛立ちから涙を堪えることが出来なかった。

 

彼女の足をそっと前後に動かしながらハンドルから引き抜き、車外へ運び出して彼女を地面に横たわらせた。彼女の意識を戻すために呼びかけてみたが全く反応がないため、私は水路を上って車道へ戻り、通りすぎる車を止めようと手を振った。

 

雨はまだ降り続いていた・・・。

 

都会では味わうことが出来ないもっと美しいアメリカの風景を目にしたくて、私たちは幹線道路を避けて田舎道を選んだ。でも、今はそれを後悔している。一台 の車も通らなかったため車へ戻ろうとしたらぬかるみのタイヤ痕に足を取られ転倒した。後頭部を何かにぶつけた気がしたが、そのまま気を失ってしまった。

 

気が付いた時、意識が朦朧としていた。日が高くなった空をぼんやりと見つめながら、自分がどこにいるのか考えていた。なんとか起き上がろうと試みたが、頭がフラフラして思うようにいかず、また気を失ってしまった。

 

次に意識が戻った時には雨が上がっていた。急いで起き上がると吐き気がした。まるで百万羽のキツツキが頭をつついているような痛みを頭に感じ、目も片方し か見えなくなっていた。そしてその目に映ったものは、血に覆われた私の腕とそこに突き刺さっている小さな硝子の破片だった。

 

硝子の破片を取り除きながら辺りを見渡すと、ぬかるみにタイヤのスリップ痕があったのでそれを辿った。自分がどこにいるのか見当もつかず、自分が誰なのかかすかに思い出せる程度だった。私はただタイヤの跡が何かの手がかりになることを願った。

 

すると、側溝の底に壊れた車の傍で倒れている二十歳前後の女の子を見つけた。彼女が無事かどうか確認するために急いで駆け寄ろうとしたが、木に足を取られて転倒した。また数歩進んで膝をついた時、激痛に大声をあげてしまった。膝を見ると皮膚が完全に剥がれていた。

 

痛みを無視して起き上がり、足を引きずりながら彼女に辿り着いた私は、恐る恐る彼女の様子を窺った。彼女はかろうじて生きていた。

 

彼女を助けるために必要な物があるかもしれないと思い、私は彼女の傍の車へ向かった。怪我を負っている私にとってトランクを開けるのは困難な作業だった が、その苦労は報われた。そこにはブランケットと水、マッチ、食べ物が入ったいくつかの袋と救急箱があったのだ。私は渇いた喉を潤すためにゴクゴクと水を 飲み、ブランケットと救急箱を抱えて彼女の下へ戻った。

 

救急箱の中にあった布を濡らして彼女の顔と首の血を拭ってブランケットをかけ、彼女の頭の下に落ち葉を盛って枕を作った。彼女の無事と落ち着いた様子を確認してから、私もブランケットに身を包んだ。

 

「聞こえますか?」
優しく呼びかける声に目を開けるとすぐに波のように痛みが押し寄せてきたが、私はすぐにそれを意識の外に追いやった。その呼びかけはまるでトンネルの中から聞こえるかのように響き、私はいつの間にか意識を失っていた。

 

しばらくして気が付き、恐々と薄目を開け傷を負っている左腕を上げようとしたが重すぎて動かなかった。そこで右腕を上げてみると刺さっている針とそこから 伸びるチューブが目に入った。体を起こそうと試みたが吐き気に襲われて出来なかった。もう少し目を開け辺りに目を凝らしてみると、私の周りで音がしている ことに気付いた。何か電子音のような音が一定の間隔で響き、遠くから囁くような声が聞こえ、足音が近づいてきた。

 

一瞬目を閉じてから目を開くと、看護師の制服を着た女性がベッドの足元付近で看護記録を書いていた。

 

「水をいただけますか?」
私がかすれた声で話しかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。彼女は慌てて看護記録を置き、私に近づいてきた。
「名前を教えてくれるかな?」
彼女に尋ねられ、私はしばらく考えた。記憶を辿り、浮かんできた文字をひとつにまとめて彼女に名前を伝えた。

 

「ここはどこ?いったい何が起こったの?」
矢継ぎ早に尋ねた私に、彼女は私が病院にいることとひどい事故に遭ったことを説明してくれた。突然疲労感が襲い、私はまた眠りに落ちていった。

 

目を覚ますと、病室の外から漏れてくる小さなオレンジ色の光しか見えなかった。頭痛も少し治まっていたので暗闇を見回すと、ベッドの端の上方にスクリーンの影、左側には椅子、そして右側にはポタポタと落ちる点滴が目に入った。

 

雨の滴のように・・・。

 

左腕を上げようとしていると先程とは別の看護師が病室へ入ってきて、懐中電灯で私の顔を照らした。私はあまりの眩しさに目を瞬かせた。
「あれ?まだ起きているの?」
彼女は笑顔でそう言うとベッドの左側へグルッと回り、懐中電灯を消して椅子に腰をかけた。
「いくつか私の質問に答えられるかしら?」

 

私は顔を彼女の方へ向け、彼女を見つめて尋ねた。
「ここはどこ?」
彼女は私が病院の集中治療室にいることを教えてくれた。

 

「あなたは交通事故に遭ったのよ。どれほどの事故だったのかわからないけど、あなたとあなたの友達は壊れた車の横で意識を失って倒れているところを発見さ れたの。自宅から農場へ向かっていた男性が路肩のぬかるみにあったスリップ痕に気付いて、それを辿ってあなたたちを見つけて救助隊を呼んでくれたらしい わ。」

 

灰色がかってぼんやりとしたイメージが意識の中にゆっくりと広がり、徐々に形を成していった。ダッシュボードにしがみついて・・・・・車の周りを木の枝が 弾け飛んで・・・・・それから・・・・・必死で(得意げに?)車をコントロールしようとしているケリーの顔・・・。ケリー!!!

 

起き上がろうにも起き上がることが出来なかった私は、ケリーがどこにいるのか尋ねた。看護師は上体を屈め私の肩をそっと押して寝かせながら、ケリーはひど い脳しんとうを起こし足を骨折しているが無事だと説明してくれた。彼女たちが心配しているのは広範囲に渡って怪我を負っている私だけだと彼女は言った。

 

「でもそんなことがどうして可能なの?事故の状況はあまり憶えていないけど、ケリーを介抱してあげたことはハッキリ憶えているわ。それから助けを呼びに行こうとして・・・。」
私がそう言うと、看護師は気の毒そうに私を見つめながら言った。
「残念だけどそれは不可能ね。ケリーは脳しんとうと足の骨折だけなのよ。でもあなたは肋骨と手首を骨折、重度の捻挫、打撲による目の腫れ、それにここへ運び込まれた時には肺も片方潰れていたのよ。そんな状態のあなたに誰かの介抱なんてできるわけないじゃない。」

 

私は自分の記憶が正しいことをわかってもらおうと彼女に反論しようとしたが、彼女は立ち上がった。
「しばらく休んだ方がいいわ。あなたが眠れるように電気は消しておくわね。」
そう言って電気を消すと、暗闇に病室から廊下へ出て行く彼女の靴音だけが響いた。

 

私は彼女が言ったことをよく思い出してみた。
「あなたに誰かの介抱なんてできるわけないじゃない。」
私は全て正確に憶えているわ。事故の後、私はケリーを介抱したわ。でもどうやって?やがてそれは堂々巡りになり、間もなく私は夢を見ていた。

 

誰にも見ることはできないが、病室の隅から長身の男が彼女を見つめていた。彼はクリスティーンが生まれた時からずっと彼女を見守ってきた。そして彼は、神 様の壮大なる奉仕のための計画が彼女を待ち構えていることを知っていた。彼の使命はその計画を実現するために彼女を守ることだったのだ。

 

たとえ雨が降っていても、降っていなくても・・・。

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