雨を捕まえてみたいって言ってた。僕はそれを笑って聞き流していたけど、君はいつも真面目な顔だった。

 雨が降ってるね。

 僕は君に囁きかける。君の白くて脆い肌は、向こうにある灰色の公園を透き通らせていた。曇り空からしとしとと注がれている雨に濡れる君の姿は、僕の囁きに応えるようだった。いや、応えているんだ。

 でも僕は、君がこれ以上濡れないように君をジャケットのポケットに入れた。そっと、寝ている赤ん坊が起きてしまわないように気をつけるくらい慎重にポケットに入れた。

 ポケットに君が入ったのを確認した後、僕はブランコから立ち上がった。そういえばこのブランコ、君はよくここに座っていたよね。座って、雨が降ってくる直前の灰色の空を眺めていたよね。

 君はよく、雨を捕まえてみたいって言ってたよね。そのたびに僕はそれを笑って、聞こえていないふりをしてたんだけど、やっぱり君は真面目な顔だった。その顔が、僕は少し怖かったけど、僕を見つめる君の青い目がとても綺麗だった。

 そういえば雷が苦手だったよね。暗い空が光るたびに、僕の手を握っている君の手が強張る感触が今でも残ってる。今日は雷が鳴らないようだよ。君にとっては良い事なんだろうけど、僕にとっては少し残念な気がするな。

 手さえ握っていれば、安心できるって言ってた。今日みたいに雨が降って、肌寒い日でも、手さえ握っていればいいって。僕はそれに照れ笑いしか返せなかったけど、実は僕もそうなんだって、結局言えなかったね。

 雨が僕の髪をじっとりと濡らして額や首筋に張り付いた。少し気持ち悪かったけど、こういうのも悪くないかな。君もよく雨に濡れながら、こうやって公園の真ん中に立って空を仰いでいたよね。傘を持って迎えにきた僕に、雨を捕まえてみたいって決まったように言ってたよね。

  この前君は、さよならって言ってたよね。あれには少し凹んだよ。ベッコベコに凹んだ、捨てられた空き缶みたいに凹んだよ。そう言ったら君は、捨てられた指 輪みたいに、黒ずんじゃったって言った。君の青い目は真っ直ぐだったけど僕を見てはいなかったね。知らないふりをしていたけど、僕の手をよく撫でてくれた 指には、金色の指輪が付いていることには気付いていたよ。でも、仕方ないよね。君は雲みたいな性格だったから。

 でも僕は君にお礼がしたいんだ。幸せだったんだよ、僕は。君と出会えてさ。でも僕は君に何もしてあげれなかったよね。だから僕は最後の君にお礼がしたいんだよ。

 塗装が剥げた灰色のベンチのすぐ隣に、水溜りがあった。穏やかに降るこの雨にしては深くて大きい水溜りだった。

  君は雨を捕まえてみたいって言っていたよね。だから捕まえさせてあげるよ。ポケットの中の彼女に、僕の指先が触れた。しっとりとした肌触り。僕はこんなに 綺麗な君と別れると思うと、凄く苦しくなるんだ。胸が締め付けられるっていうより、なんだか胸の中から何かが突き出てきそうな、そんな感じ。それを僕の胸 が必死に押さえつけて苦しいんだ。そんなとき君の手が僕の手を握ってくれると、この苦しみは治まると思うんだけど、君はもうそんなことはしたくないんだよ ね。残念だよ。

 君にはずっと黙ってたけど、水溜りってさ、雨が集まるところじゃなくて雨が捕まっているところだと思うんだ。

  僕はポケットの中の君を、そっと取り出した。そして、水溜りの中へ沈めた。灰色の空を映す水溜りの中にいる白い肌の君は、水溜りの女神みたいだよ。 君は 静かに沈んで、水溜りの底で横たわっていた。しばらくその姿を眺めていると、水溜りが夕焼けを映しているように真っ赤になった。君はやっぱり女神だったん だよ。と僕は笑いかけた。

 そうして僕は、ずっと僕の手を握ってきた君へ別れを告げて、家にある残りの部分の君をどうしようか考えながら灰色の帰り道を歩いていく。

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