「女の子かく語りき」
嫌いでもなんでも絶対になくてはいけないものってこの世にあるよね?
そしてこういう質問をしたら『雨』は多くの人が答えるものだと思う。
私は雨なんか嫌いだよ。
お気に入りの可愛いスニーカーが泥で汚れちゃったりなんかしたら、もう二度とそれを履きたくなくなる
し、傘を差すのに片手がふさがって使えなくなるのが本当に憎らしい。
雨が降っていればどこに行くのも嫌になるし、朝に目覚めて降っていたらそれだけで気持ちが落ち込んでしまってその日が私の中で悪い日になる。
でも私はみんなと同じでわかってる、雨がなかったら太陽で地面が乾いて色んな植物が枯れちゃってそれを食べて育つ動物も死んでしまって、最終的に人間も死んじゃうの。
そんなことはちゃあんと理解している。
でも、それでも私は嫌いなものは嫌いで、なくなってほしい。
もし雨が降らなくなって、毎日が春の陽気に包まれていたのなら、とても気持ちがいい人生を送れると思う。
食べ物のことなんか考えたくないけど考えるのなら、綺麗で可愛い食べちゃいたい女の子の柔肌を文字通り食べて暮らしたい。
サンドウィッチにしたらきっとおいしいと思う(パンが無いなんて野暮なこと言わないでよね)。
雨が降った時に感じる心の汚れを感じないで一生を過ごせたら素敵じゃない?
そんな話を友達にしたら、雨が降るから晴れの日が気持ちよく感じるとかなんとか言ってた。
友達はもう女の子じゃないのだ、大人の人間なんだ。
だからそんな普通のことを言う。
私は嫌いなものを無条件で嫌いでい続けたいし、好きになる努力をするくらいなら死んじゃっても構わな
い。
いつまでも可愛くて我がままを言い続けて、雨が降った日には好きな人の胸に抱かれてぶーぶー不満を言って困らせたい。
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死にたくなるほど憂鬱な梅雨が終わって、私の好きな夏がくる。
かんかんに照った太陽に挨拶をして、私は陽炎が揺れるアスファルトをお気に入りの真っ白なスニーカー
を履いて学校へ向かう。
このかんかん照りが、どこか別の国では悪魔の笑みのようにも見えるのかも知れない。
そして恵みの雨とか言って、雨の日には半裸で外に飛び出して、これで食べ物に困らないなんて言いながらみんなと笑いあうのかもしれない。
でもそんなの今が幸福な私には関係のないお話で、実際ニュース番組でそんなのをちらっと見たときもまるで物語の中のことのように感じる。
私が嫌いな雨だが、世界では絶対に必要とされているのだ。
私はパンが無かったらケーキを食べるから、そんな飢えた人々の歓喜の表情を汚らしい物を見るような
表情でしか見ることができない。
私だったら、あんなドロドロの大地に立って雨を喜ぶなんて絶対にできない。
たぶんあまりの不快感に泣き出しちゃう。
私は焼けたアスファルトを歩いて、そんな傲岸不遜なことを考える自分を本当に可愛いと思う。
いつまでも女の子でいたい。
私の嫌いなもの=この世に必要の無いもの、だ。
そうやっていつまでも生きていたいのだ。
妥協と寛容で生きる大人になんかなってやるもんか。