1
 静謐を従えた、朝の新鮮な空気。
 カーテンの隙間から差し込む、眩しい陽光。
 朝はいつでも東からやって来る。
 春は旅立ちの季節。新たな出会い、夢の始まり。
 僕の夢、それは――――

 

 2
 その日、僕は目覚まし時計が鳴るよりも先に目を醒ましていた。気分が昂ぶっていたのだと思う。クローゼットには今日のためにあつらえられた、真新しいジャケットと黒い鞄が掛けられている。
 今日から始まる新たな生活。これで夢が叶ったわけではないけれど、偉大なる軌跡。大いなる第一歩だ。
  そんな取り留めのない事を考えながら、少し興奮気味に起き上がる。安物のパイプベッドの軋む音が部屋に響いた。横で静かな寝息を立てていたミィシャの呼 吸が乱れ、気怠げに寝返りを打つ。シーツを巻き込みながら半回転。一瞬起き上がるのかとも思えたけれど、体を丸めると再び規則的な呼吸音を発し出した。春 眠暁を覚えず。目覚めはまだ遠そうだ。昨夜の激しい運動が余程身に応えているのだろう。
「やれやれ」
 安らかな寝息を立てている彼女を妬ましく(羨ましく?)思いながらも、僕は身支度を開始した。

 

 3
 うらぶれた繁華街の中でもとりわけ薄汚れた路地の裏手。降りしきる雨のなか、僕たちは出会った。
 雑居ビルの軒下に座り込んで雨宿りをするミィシャ。濡れた体をビルの壁面へ預け、体を丸める事で体温の保持に努めているのだろう。春とはいえ朝夕はまだまだ冷える。
 あの時何故彼女へ声を掛けようと思ったのか、自分でもよく分からない。
「一緒に、来るかい?」
 顔を上げ、しばらく視線を彷徨わせていたかと思えば、おもむろに立ち上がるミィシャ。それが交渉成立のサインだと僕が理解するまでには一寸を要した。
 異国の生まれである事を想像させる碧い瞳。毛色にはアッシュブルーのカラーリング。大人の女性と呼ぶのには熟成が足りないが、少女というにはあまりにも濃厚過ぎる雌の匂い。野生を感じさせるしなやかな肢体は雨で濡れそぼり、その見事なスタイルをより強調していた。
 僕が歩き出すと、彼女も後ろからついて来ている事が気配で感じとれる。歩幅にしておおよそ七歩分。遠くもなく、近くもない、曖昧な距離感。

 

 これが僕と彼女の、邂逅の一部始終だ。

 

 4
 あれから丁度一年。僕たちの共同生活は今も続いている。
  ミィシャは相も変わらず自由奔放で、何物にも縛られる事がない。日がな一日ベッドに身を横たえていたかと思えば突如甘えだし、相手をしろと強要する。機 嫌の悪い時には、部屋中の物に当たり散らし、家具をも破壊する。物憂げに窓の外を眺めていたかと思えば、フラリと外へ飛び出し、そのまま数日間戻らない事 も度々だった。一度、街で見知らぬ男と寄り添いながら、親しげに語り合う姿を見掛けた事もある。相手の事が全く気にならないと言えば嘘になるだろう。しか し、僕にとっては今ここに彼女が居るという事実、それが何よりも大切だった。

 

 真新しい袖に腕を通すと、身が引き締まるような思いがした。
 このジャケットは今日の為にと両親からプレゼントされた物だ。僕をここまで育ててくれた両親。その恩にはいくら感謝をしても報いきれる物ではない。
 僕の決断にいつも肯定的な理解を示してくれる父親。ミィシャとの共同生活にあれほど反対していた母も、今では何も言わなくなった。内心では忸怩たる想いを抱いているのかもしれないが。

 

「よしお、早く降りていらっしゃい。遅刻するわよ」
 身だしなみを整え終わり"にゅうがくのてびき"と書かれたプリントを見ながら最終チェックをしている所へ、母が呼ぶ大きな声が届いた。
「今いくよ」
 負けじと僕も叫び返す。
 最後に名前札を左胸に付け、黒光りする鞄を背負うと準備は完了。うん、忘れ物は無さそうだ。
「行ってくるよ」
 声を掛けたが返事はない。振り返って見てみれば、ベッドに顔を伏せたまま尻尾だけを燻らせたミィシャの姿が目に映る。ご主人様がこれから出立だというのに、ものぐさな奴だ。
 僕は肩を竦めながら扉を閉めると、自室を後にする。階段を降りきった頃、ミィシャの甘えたような鳴き声が聞こえてきた。

 

 5
「よしおも今日から一年生ね」
「うん」
 母と手を繋ぎ歩きながら、僕は僕の夢へと想いを馳せる。
 ――――「友達百人出来るかな( ̄ー ̄?)

 

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